あいさつ

 
 
★ 「地方からの逆襲」


平成18年5月
海洋資源開発協同組合代表理事 理事長 中山 洋二


「IT革命」は、経済のグローバル化を実現しました。他面、小泉「構造改革」は、地域格差、所得 格差、産業格差、企業格差を広げています。 特に、長崎県と沖縄県は多くの離島を抱え、大変厳しい状況にあります。「地方分権・地方の時代」と モテハヤサレタのが懐かしく思えます。 私達は、敢えて時代に掉さそうと思います。 テーマを「地方からの逆襲」と置き、歴史に学び、 技術に学び、人に学ぶ、「地域に開かれた組合」を目指し、沖縄事務所を開設しました。
私達の小さな試みが、この国を変える大きな舵取りになれるとの夢を持ちながら、沖縄からの第一歩を歩みだします。
 

★海ロマン・・・海上の道・・・海洋航海民の誕生!

柳田国男
(民俗学者・言語学者)

この国に、柳田国男という民俗学者・言語学者がいました。 国男は、明治8(1875)年に兵庫県で生まれ、東京帝国大学(現、東京大学)政治学科卒業後、農商務省に入ります。役職のかたわら、民俗学を研究し、大正14(1925)年、雑誌「民族」を編集して日本民俗学を確立しました。 民俗学とは、民間の伝承や行事、風俗の歴史を通して、一国の基層文化の特質を研究しようとする学問であり、その視点は本文中にもよくあらわれています。 主な著作に『石神問答』『遠野物語』『民間伝承論』『日本民俗学研究』などがあります。 残念なことに、昭和37(1962)年に死去致しました。
『海上の道』は昭和27(1952)年に雑誌「心」に発表されました。そこに展開された、日本人が南方から潮流に乗って島伝いに渡来した、という説は、必ずしも現在認められてはいませんが、日本人や日本の文化における南方的要素は学問的にも多く指摘されており、柳田国男先生の視点はなお今日でも大いに意味を持っていると言えます。


★ 歴史に学ぶ

歴史は、私達に何を物語るのでしょうか?いや、歴史から私達は「何を学べば良いのでしょうか?」
最後の勝者・徳川家康、日本のゆくべき道を示した坂本竜馬、桶狭間に倣って惨敗した日本軍…。歴史の大転換期に勝敗を決めるのは、歴史を批判し、そこから学べるか否かにある。「先を読める人」と小和田哲男は著書の中で説いています。

確かに、歴史の表面を追いかけていたのでは意味はありません。大事なのは古の人の心意気を感じることだと思う。そして、その心意気の積み重ねが今の私たちの社会の礎となっているはずです。視点を変えれば、百姓一揆を起こした農民だって、明治維新の志士と同じ重みを持って歴史を積み上げてきたはずです。 大事なことは、そんな先人たちと同じ血が私たちの中にも流れていること。先人に恥じぬよう、私たちも未来の社会の礎とならねばと思う。



★海洋航海民の誕生!

ユーラシア大陸の東端に位置する日本列島には、 古期(前期)旧石器時代人の化石人骨はまだ発見されていないという。
約5万年前頃スンダランドの海岸地域に、海洋適応戦略を成功させた新人段階の旧石器人が定着していた。
かれらは東南アジア内陸部の熱帯雨林に展開した「礫器文化」に対峙するように、海岸や島嶼部を拠点に「不定形剥片石器文化」を発達させた。おそらく筏(竹か)などの渡航具を使用し、河川・海洋資源を主生業にした漁撈・採集民であった。

彼らは、最寒冷期に向う気候変動の過程で生じたスンダランド地域の海進と海退の環境変動に促される形で、黒潮海域を活動の場として、外洋航行にも順応できる「海洋航海民」に成長していったと考えられる。


 
  ★ 「ヤポネシア」という視点
島尾敏雄(作家)
1917年 - 1986年

奄美に移り住んだ横浜市出身の作家島尾敏雄は、(長崎高商を経て九州大学を繰り上げ卒業。第十八震洋特攻隊隊長として、奄美大島に赴任。戦後、赴任地の島の娘であったミホと結婚し、上京して雑誌「現代評論」を始める)硬直化した日本の歴史や文化の画一性から解き放つ「ヤポネシア」という視点を提唱。そこから「新たな琉球弧像」を目覚めさせたヤポネシアとは「JAPONIA」(日本)と「NESIA」(島々)を結びつけた新造語である。

一九六一年に初めて用いられ、そして七〇年代の状況を切り開いていく思想として、学問の分野にも広く影響を及ぼした。つまり、文化的優位性としての大陸に固定されてきた視点を、海(太平洋)へ転換。点在するポリネシア、ミクロネシア、メラネシアなどとの関連で日本列島を位置付けると、自由な思考が可能になる。そして、ヤポネシアとは、北は奄美諸島から南は先島までの琉球弧をイメージ。「日本の国家意識を再構成するキーワード」になるとも指摘する 。
 
 
★ 沖縄の化石人類

 

琉球石灰岩地域である沖縄からは、更新世化石人骨が8カ所から確認されている(左上図赤枠の遺跡)。
主なものは沖縄本島の山下町第一洞人(約3万2千年前)、港川人(約1万8千年前)、宮古島のピンザアブ洞人(約2万6千年前)である。
しかし残念なことに、沖縄の旧石器人骨発見地点からは、確かな「旧石器」の出土がない。
だが、旧石器文化、不定形剥片石器文化は、この沖縄に生活した新期旧石器時代人が使用した石器類と考えてよいであろう。 と、言われている。

 

 


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